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犯罪によって刑事罰を受ける場合、原則的に『故意』が必要になります(一部過失を処罰する過失犯も存在しています)。この故意の存否を巡って刑事訴訟で争点となる例も少なくありません。故意が認められない場合は、故意責任を否定して犯罪の成立を否定する主張を行う必要があります。

本項では刑事事件における故意の意味などを概説しています。

PR 弁護士齋藤理央はインターネット犯罪や知的財産権侵害を含めた刑事弁護業務を幅広く取り扱っておりますので、もしご依頼がある場合はお気軽にお問い合わせください。

①故意の内容

刑法上、罪を犯す意思のない行為は罰せられません。故意の本質は、規範の問題に直面しながら、あえてこれを乗り越えた、反規範的人格態度に対する、重い道義的責任非難にあると考えられています。したがって、罪を犯す意思とは、犯罪事実を認識、予見(犯罪事実の表象)しただけでは足りず、あえて犯罪結果を望んだこと、ないし、犯罪結果が生じることを認容していた心理状態と考えることになります。

注1)すなわち、犯罪結果を予見しながら、これを回避するどころか、結果実現も仕方がないとして、認容する態度は、重い道義的非難に値するとされます。

例えば、あるマークが商標登録されている他人の商標と知らずに利用しても反規範的人格態度までは見出せないことも考えられます。

②未必の故意

未必の故意とは、犯罪事実の表象において、犯罪結果発生を確実なものとまで予見していなかった場合をいいます。故意責任の責任避難の要点は、犯罪結果を志向し、ないしは認容する心理状態にあり、犯罪事実の表象において、結果発生が確定的に認識されていなかったとしても、故意責任を否定することはできないものとされます。

注1)犯罪結果を確定的に予見していた場合を、確定的故意といいます。犯罪事実の認識と、犯罪実現の認容は、一応分けて観念でき、犯罪事実の認識が確定的であっても、未必的であっても、犯罪実現を志向、認容する心理状態を想定することは可能とされます。

例えば、第三者の著作物を、許諾が必要かもしれないが権利を侵害しても構わないと考えて無断転載するような場合です。

③違法性の意識

犯罪事実の表象には、1.物体、事象の知覚→2.意味の認識→3.違法性の意識→4.具体的条文の認識の4段階が観念できます。このうち、「罪を犯す意思」に含まれる犯罪事実の表象としては、違法性の意識まで必要でなく、意味の認識で足りるものと考えられます。なぜなら、意味を認識しながら、規範の問題を乗り越えて犯罪を実現した場合と、規範の問題さえ惹起せずに犯罪に及んだ場合、質的に差異はあるものの、違法性を意識して犯罪を回避できた条件(違法性の意識可能性)としては同一(であり、同じ程度に非難可能)だからです。

注1)したがって、違法性の意識可能性さえない場合は、責任非難の対象となる土台(違法性を意識する可能性があったという状況、機会)がなく、故意責任は否定されます。

注2)違法性の意識の内容については、前法律的な社会倫理規範によって許されない行為であるとの認識と考える説もあります。しかし、意味の認識との区別が不能となり、妥当でありません。したがって、違法性の意識の内容としては、法律上禁止された行為である、との認識をもって足りる心理状態と解すします。

④意味の認識

記述的構成要件要素においては、物体、事象の知覚が意味の認識を導きます。しかし、裁判官の規範的評価を経て初めて確定される、規範的構成要件要素においては、社会的意味の認識が直ちに規範的評価を導かないことになります。したがって、故意に欠けるのではないかが問題となります。

しかし、裁判官の規範的評価の土台となる社会的意味の認識(素人間の並行的評価)があれば、規範の問題に直面する機会は与えられていたといえ、故意責任を肯定すべきです。

注1)覚醒剤などの、薬物事犯における意味の認識の程度としては、「厳格な法規制の対象になっており、依存性の薬理作用を有する身体に有害な薬物」という程度の認識で足ります。これは、たとえば客体の人間に対して、氏名などの認識が不要であり、およそ人との認識で足りるように、構成要件によって与えられた規範の問題に直面する機会を得たといえる程度の意味の認識があれば足りることによると考えられます。

例えば、自らが頒布するプログラムが法的にコンピューターウィルスと評価されるものであるという確証までは必要ありません。そうではなく、裁判官が法的にコンピューターウィルスであると評価する土台となったプログラムの性質や機能を認識していれば故意責任を免れないことになります。

著作権法上の故意『プログラム』の認識について

昭和63年 3月23日東京地裁判決(判時 1284号155頁)は、著作権侵害の対象となったIBM社のプログラムの認識について、『個々のプログラムごとにその具体的内容を他のプログラムと識別できる程度に認識していることが必要であると解すべき』との主張を排斥し、『当該侵害の対象とされているものがプログラムであるとの認識があれば十分』と判断した事案で、下記のとおり判示しています。なお強調部は弊所によります。

『弁護人らは、プログラムの著作物の著作権侵害を処罰するためには、侵害の対象となっているものがコンピュータープログラムであるという認識だけではなく、個々のプログラムごとにその具体的内容を他のプログラムと識別できる程度に認識していることが必要であると解すべきところ、被告人が販売譲渡したロムチップあるいはフロッピーディスクに記録されたプログラムに対する認識の程度は右程度に至っていないから、著作権侵害の故意がない旨主張する。

 そこで検討すると、著作権法一一九条一号は著作権等を侵害した者を処罰する旨規定し、同法一〇条一項九号は、著作物の例示の一つとしてプログラムの著作物を掲げ、同法二条一項一〇号の二はプログラムの意義として、電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したものをいうと定めている。

とすれば、プログラムの認識の程度は、当該侵害の対象とされているものがプログラムであるとの認識があれば十分であり、さらに付加して個々のプログラムごとにその具体的内容を他のプログラムと識別できる程度に認識していることまでは不要であるというべきである

なぜなら、弁護人主張のように解すると、数種類のプログラムの複製品を販売した者は処罰できるものの、被告人のように二〇〇〇種類ものIBMのパーソナル・コンピューター(以下「パソコン」という。)及びIBMパソコンの互換機に使用できるソフトウエア(以下「IBM用ソフト」という。)の複製品を販売するとして扱っている者は、同人が相当のマニアでない限り、個々のプログラムの具体的内容を他のプログラムと識別できる程度に認識していることは難しく、したがって処罰できなくなる場合が多くなるという不都合が生じ、著作権法はかような不合理を甘受してまで、プログラムの著作物について厳しい事実の認識が必要であることを要求してはいないと解するのが相当であるからである。

そして、本件において被告人が販売したロムチップ及びフロッピーディスクは、プログラムが全く記録されていない、いわゆる生のロムチップあるいはフロッピーディスクとしてではなく、コンピューターを稼働させるためのプログラムが記録されたものであるとして販売したことは被告人も自認するところであり、この点について認識があったことは関係証拠上も明らかである。』

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