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我が国では、著作権法と憲法上の人権、特に表現の自由との関係は判例実務上、あまり語られてきませんでした。著作権法が表現の自由を侵害し違憲であるという主張は、権利濫用の抗弁や差し止めの成否の中で若干言及される程度で、この点が強く主張された訴訟は知る限り見当たりません。又、少なくともそうした主張に対して判断権者は冷笑的であったように思われ、真剣にこの点を判断した事例はほとんど存在しないように思われます。

この反射として、著作権法と表現の自由の問題が語られるとき、著作権法が表現の自由を制約するという側面に光が当たることはあっても、著作者の表現の自由と同じように、表現それ自体や国民の知る権利を保護しようとする著作権法の表現の保護機能について議論は発展してこなかったように見受けられます。

つまり、米国で著作権法が表現の自由のエンジンであるという憲法上の位置付けを与えられたのは、著作権が表現の自由を侵害するという主張に対する反証としてのものだったとも考えられます。本邦ではそもそも裁判実務上著作権が違憲であるという主張自体強くされて来なかかったため、反論としての著作権法の表現の自由の庇護者としての位置付けも議論されてこなかったのかもしれません。

しかし、著作権法は本来表現の自由を制約するためにつくられた法律ではなく、表現の自由と同じく表現(行為)を保護する為につくられた法制度であることは明らかというべきです。インターネット全盛の現代において、この点に焦点を当てるべき時代が来ています。

近代著作権法の歴史と表現の自由との調和

近代著作権法は、国民の表現の自由、知る権利と調和的な制度として設計されました。このことは近代著作権法の萌芽の時代に遡ると明らかです。

アン制定法と国民の知る権利を保障する制度としての著作権法ーいわゆるインセティブ論

近代著作権法の萌芽と評される、アン制定法の正式名は、「一定期間、印刷された書籍の複製(権)を 著作者又はその購入者に付与することによって学問の奨励をはかるため の法律」(An Act for the Encouragement of Learning, by Vesting the Copies of Printed Books in the Authors or Purchasers of Such Copies, During the Times Therein Mentioned)でした(「表現の自由と著作権の制度的調整」 大林啓吾)。

このように、近代著作権法は、学術の流布つまり、情報の発信と、発信された情報の適切な流通を目的として制定されたのです。

このように近代著作権法は、著作者に著作権という財産権を与えることで情報発信のインセンティブを与え、情報発信の対価が情報の発信者に適切に還元することで、理想的な情報の循環をつくろうとしたものと考えられます。良質な情報の循環は国民の知る権利に奉仕し、さらに有益な情報の発信が質量ともに増加することになります。このような理想的な情報の循環こそが著作権法が究極的に目指すものの一つではないでしょうか。

この近代著作権法の精神は、インターネット全盛の現代においても根本理念として些かも光を失っていません。それどころか、道標としてその光を増しているというべきでしょう。

アメリカ合衆国修正1条と米国著作権法の関係

1790年に制定された最初の連邦著作権法のタイトルは、「一定期間、地図、海図、書籍の複製(権)を著作者又はその 権利保有者に付与することによって学問の奨励をはかるための法律」(An Act for the encouragement of learning, by securing the copies of maps, charts , and books, to the authors and proprietors of such copies, during the times therein mentioned)となっており、イギリスのアン制定法のタイトルとほとんど同じでした(「表現の自由と著作権の制度的調整」 大林啓吾)。

この最初の連邦著作権法と、憲法の起草の時期が近いことは、表現の自由と著作権法が調和する制度として捉えられていたことの根拠とされています。

すなわち、エルドレッド対アシュクロフト事件において、米国連邦最高裁は、下記の通り述べて著作権が表現の自由の原動力として設計された制度である点を指摘しています。

「The Copyright Clause and First Amendment were adopted close in time.(著作権条項と憲法修正第1条は、近い時期に採択されています。)This proximity in- dicates that, in the Framers’ view, copyright’s limited monop- olies are compatible with free speech principles.(この著作権法と修正第1条の成立の近接性は、起草者の視点から見ると、著作権により私人に保障される独占権は、言論の自由と両立するものと捉えられていたことを示しています。)Indeed, copyright’s purpose is to promote the creation and publica- tion of free expression.(実際、著作権の目的は、自由な表現の創造と公開を促進することにあります。)As Harper& Row observed: “[T]he Framers intended copyright itself to be the engine of free expression.(Harper&Row事件では次のような見解が示されています。つまり、起草者は、著作権自体を表現の自由の原動力とすることを意図していました。)By establishing a marketable right to the use of one’s expression, copyright supplies the economic incen- tive to create and disseminate ideas.(すなわち、自分の表現を発信する価値を与える市場性のある権利を確立することにより、著作権は、アイデアを創造し普及させるための経済的な動機を与えるのです。)

著作権法による著作者の表現の自由の保障

平成17年7月14日 最高裁 判決・ 民集第59巻6号1569頁(裁判所ウェブサイト)は、著作者の人格的利益の保護を宣明しました。

この著作者の人格的利益の保護の根拠として、著作者の思想の自由・表現の自由を挙げています。

著作者人格権という私権による私人間における表現の直接的保護

著作権法が保障する権利のうち、著作者人格権は私人間において、著作者の表現や思想良心の自由を直接的に保障する権利(私権)と捉えることができるかもしれません。

あくまで著作者人格権は私権としてですが、私人間で著作者の表現を事後的に保護することで情報発信への委縮を防ぎ、もって情報の流通に貢献することを企図していると解することは可能と考えられます。

公表権は、表現を公表するかどうかの自由、まさに表現の自由そのものを私人間において具体化した権利というべきでしょう。

同一性保持権は、表現の内容や作品意図を誤って伝播されない権利ということができます。あるいは、表現に込めた思想や良心を改変されない権利として、著作者の思想・良心の自由を私人間において直接的に保障する権利であり、著作者の基本的人権の保護にとって極めて重要な位置付けを与えられます。

氏名表示権は、情報とその発信者の結びつきという、著作者の表現の自由及び、国民の知る権利にとって決定的な情報の関連性を保護するものと捉えられます。

いずれも、表現の自由(及び思想良心の自由・幸福追求権など)を私人間で私権として具体化し、もって発信の委縮を防いで国民の知る権利にとって理想的な情報の循環状況(文化の発展)を形成することを企図しているというべきです。

この意味で、著作者人格権の保障を強く持つ本邦著作権法は、ひとつのより完成された法体系というべきなのかもしれません。少なくとも、情報発信に萎縮しがちな日本人にとっては著作者人格権の保障が強いことは、より国民性に適合的な法体系というべきなのかもしれません。

著作権法による保障の関係

著作権法は、直接的には文化の発展、ひいては国民一般の知る権利を庇護し、その理想的な情報の循環はやがて個人へと還元され表現の自由に資する、表現の自由と同じ目的・機能を持った法制度であるということもできます。

著作権法はこの表現を直接保護し、国民一般の知る権利に資するために、財産権を創設してインセティブを生み出しました。

また、併せて著作者の思想の自由を私人間で直接保護(情報発信の保護)し、かつ、利用者の表現の制約を目的のために必要最低限とすること(情報発信を阻害しない適正な情報の流通の保障)で、情報の発信と適正な流通を保護し、もって文化の発展(=国民の知る権利の質と量の最大化)、すなわち理想的な情報の循環を目指しているというべきでしょう。

つまり、著作権法の一面は、著作者の表現の自由・思想良心の自由と、利用者の表現の自由の調整を図ることで、情報の理想的な循環を生み出し、国民の知る権利に奉仕することを目的とする法律と捉えることができるかもしれません。

この時、著作権法は表現行為や表現それ自体に著作権という財産権を保障することで情報の発信にインセンティブを与えるとともに、著作者人格権という特に著作者の表現や思想良心に対する侵襲の大きい行為を私人間で禁圧することで情報発信への特に懸念される萎縮効果を取り除き、さらにインセンティブや発信の萎縮への弊害が小さい利用を適法とすることで情報の循環を最大化しようとしているとも捉えられます。

著作権法とプロバイダ責任制限法の関係

著作権法を表現の自由と同等に表現を直接保護し、ひいては国民の知る権利に奉仕する法制度と捉えたとき、同様に情報の発信及び受信時の通信の秘密を保護し、もってプライバシー及び表現の自由を保護しようとするプロバイダ責任制限法との関係をいかに理解すべきでしょうか。

通信の秘密及び著作権という両利益はともに、情報の循環に係る法益とも捉え得ます。

著作権法は表現された情報の内容を直接保護(あるいはその流通を制約)し、通信の秘密はその受領及び発信の方法を保護しているというべきでしょう。この様に、内容を直接保護する著作権で保護される表現物に対する侵襲が、その内容如何に関わらず保護される発受の方法の保護に過ぎない通信の秘密に劣後するとは考えにくいかもしれません。

すなわち、既に著作権法によって保護されるという帰結が導かれた場合、当該情報発信時の通信の秘密の表現の自由に対する保護については、保護に値しないという価値判断がすでにされているというべきでしょう。

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