I2練馬斉藤法律事務所

I2練馬斉藤法律事務所は練馬駅前に所在し、著作権を中心とした知的財産権やインターネット法、損害賠償や刑事弁護、一般民事などを広く取り扱っています。

これまであまり情報発信してこなかったリツイート事件と憲法上の人権の問題について、述べておきたいと思います。

リツイート事件はプロバイダ責任制限法が問題となっています。このプロバイダ責任制限法で外せない視点が少数者の人権保障の問題だということはより多くの方に知っていただきたい問題だと考えています。

実は、プロバイダ責任制限法は多数派の利益を少数派の犠牲の元に成り立たせる性格が強い立法であり、少数派の権利擁護を使命とする弁護士として問題を感じることも多い法律です。

リツイート事件において原告代理人から憲法上の主張が出されているのも、クリエイターという社会の中では少数者に属する人の人権保護の観点から司法による救済が必須の場面であることを訴求するもので、事案の性質上自然な主張でした。

つまり、表現の創造者だけが自身の創作をインターネット上で自由に使える状況を受け入れれば、経済も回るし、みんな自由に文化活動を享受できて悪いことはないでは無いかという考え方です。ここでは、少数の犠牲者だけが泣けば全てうまく回るが、それで問題がないという考え方が強く支配していると考えています。

また、誹謗中傷問題にしても、被害者だけが見過ごされ、一部の被害者が叩かれてインターネットは盛り上がり、その結果利を得る情報伝播や経済活動だけが重視されている構造があります。ここでもインターネットの盛り上がりや、その結果としての経済活動を優先していることを糊塗するために、表現の自由が金科玉条の如く主張されているのではないかと感じることがあります。

もちろん、インターネットの盛り上がりや、経済活動は重要です。ただ、それが少数者の犠牲の上に成り立つものだとしたとき、手放しで肯定できるものかはよく検討しなければなりません。

今年の春に、この問題が社会的にクローズアップされました。しかし、多数派の利益のために少数者が犠牲を強いられるのはそもそもプロバイダ責任制限法の性格から自然と帰結するところであり、痛ましい事件も氷山の一角であり、現実には大小の少数者の犠牲のうえに多数派の利益を成り立たせるのがプロバイダ責任制限法の元々の性格であるとも言えます。

さらにプロバイダ責任制限法は、委任立法によって省令で発信者情報をコントロールし、少数者を司法的救済から遠ざけていると私は考えています。

この、リツイート事件から読み取れるプロバイダ責任制限法のもう一つの性格は広く知られるべきと考えています。

この点が重要な部分だ考えています。残りは、蛇足の部分であり興味のある方だけご笑覧ください。

リツイート事件と憲法21条の関係

このようにリツイート事件においては、プロバイダ責任制限法が問題となっており、プロバイダ責任制限法は憲法上の議論を内包しています。

すなわち、インターネットの情報流通、通信の秘密などと、少数者の人権保障という国民間の憲法上の利益が請求者と発信者の間で激しく対立するため、常に憲法的な検討の必要性が伴う法分野と考えられます。

著作権法と表現の自由

加えて、著作権法と表現の自由の問題も、活発な議論がある論点となっています。

著作者人格権と表現の自由

さらに言えば、著作者人格権侵害が発生する場面というのは、不可避に著作者の表現の自由に対する重大な侵襲が伴う場面であることは、興味深い点です。

すなわち、公表権は、著作者において表現を公衆に発信するかしないかを決するまさに表現の自由に関わる権利です。

また、ある表現を改変した場合、当該表現から発せられるメッセージも歪められます。同一性保持権は、そのような改変による表現の歪みや、誤った情報伝播を防止する役割を副次的に果たし得ます。このことは、表現者の表現の自由に資するとともに、情報の受け手である国民の知る権利にも重要です。

また、国民にとって誰が発したメッセージかということは、情報の内容と同様に重要な事項です。氏名表示権はそのような情報発信主体と表現の結びつきを保全し得ます。同様に表現者の表現の自由と、国民の知る権利に有益な効果を持っていると言えるでしょう。

このように、著作者人格権を侵害する表現行為や情報伝播というのは、発信者の表現行為あるいはこれに資する行為であると評価できるとともに、著作者の表現や国民の知る権利に対する重大な侵襲を伴い得る行為の一類型でもあります。

ファクトや表現を歪める情報伝播に自浄を期待できるのか

そして、一旦著作者人格権を侵害するような行為によって歪められた情報発信が、民主政の過程で自浄できるか、特に現代のインターネット社会においてそれが可能なのかはよく検討される必要があるものと思料されます。

ツイッター自身もリツイートの徒らな情報伝播が必ずしも有益な側面だけではない可能性を自覚するに至っていると思えます。

このように、フェイクニュースや、オリジナルの表現を毀損する表現の伝播は、必ずしも望ましい側面だけではありません。

さらに、ここに少数者の表現行為が多数派によってゆがめられた場合に、司法による救済が必要かどうかというのは、よく検討されなければならない場面です。つまり、事実や表現者の表現を歪める情報伝達が、本当に民主制の過程で強い保護に値するのか、自浄できないとすれば司法的救済は必須ではないか、よく問われなければならないと考えられます。

表現の自由と表現の自由の対立構造

表現の自由と財産権や裁判を受ける権利、幸福追求権が対立構造に立つ他の発信者情報開示の場面と異なり、著作者人格権侵害に基づく発信者情報開示の場面では、表現の自由VS表現の自由という図式が成り立ち得る場面のひとつということはよく意識されなければならないと思います。

それは著作者人格権が表現の自由を具体化したもの、という趣旨ではなく、発信者の著作者人格権を侵害する情報発信は、表現の自由に資すると評価できる行為でありかつ、同時に、著作者の表現の自由や国民の知る権利に対する重大な侵襲を伴う情報伝播行為の一類型であり得る、という図式です。

さらに言えば、著作者の表現の自由を侵害している発信者の表現の自由は、著作者の表現に必ず劣後する、という保護の優劣関係さえ見出せる場面かもしれません。

つまり、著作者人格権を侵害する発信は、著作物に依拠した情報発信であるから元の著作物の表現価値や知る権利に資する効果を基本的に超えられず、さらに元の著作物に対する侵襲を必ず伴い民主制における情報伝播、国民の知る権利の享受、表現者の自己実現の過程を歪めることから必ず表現の自由にとってマイナスと評価し得る側面を持つとさえ言い得ます。

そうすると、著作者人格権を侵害する発信行為が、民主政の過程においても、自己実現の意味においても、表現の自由にとってプラスになる側面よりも、著作者の表現の真意を歪め、発信主体を歪め、国民の知る権利で保障される本来受け取れるべき情報も歪め、民主政にとっても、著作権者の自己実現の価値にとっても、マイナスが大きい行為とも評価し得ます。

そして、そのような情報の歪みが一旦生じた場合、その歪みが伝播することを止められない以上、民主政の中での自浄効果が期待できない状況に陥ることが懸念されます。そうすると、表現価値そのものを歪める著作者人格権を侵害する情報はそもそも伝播されるべきではないか、伝播された場合司法による救済の要請が強く働くという価値判断も導き出されます。

プロバイダ責任制限法上で金科玉条のように主張される発信者の表現の自由が、権利者の表現の自由に劣後し、必ずしも情報流通の利益が優越しない可能性があります。

このことは、リツイート事件において著作者人格権侵害のみに基づいての情報開示が認められたことと無関係では無いのかもしれません。

この点については、著作者人格権と憲法21条の関係を含めて、今後の議論が待たれる部分とも考えられます。

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