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I2練馬斉藤法律事務所リーガルグラフィック東京は豊富なコンテンツをご用意しています

近年、インターネットの発達により市民が名誉毀損の被害に会う事例が増えてきています。

特に、インターネット上の名誉毀損的言辞は、半永久的に残ります。また、名誉毀損的言辞は、誰にでも容易に到達できる状態で半永久的に残ってしまいます。

さらに、インターネットには一見して匿名性があるように考えられがちです。匿名なら、人の悪口を書いても構わないと考える人も、残念ながら少なくないのが現状です。そのような安易な発想から、軽い気持ちで名誉毀損的な言辞を行ってしまうケースもあるものと考えられます。

このように、インターネットの発達により、誰もが容易に名誉毀損における被害者や加害者になってしまう可能性が出てきています。

しかしながら、名誉毀損における法的責任は、軽くありません。民事、刑事両方で自らの行動に対して厳しく問責される場合もあり得ます。

仮に、他人から名誉を毀損されて困っている、深く考えずに名誉を毀損したところ法的手続きになってしまったなど、名誉毀損に関するお悩みがあれば、専門家への相談もご検討ください。

インターネット上の名誉毀損事案においては、発信者情報開示・削除請求の手続が必要になる場合がございます。

(インターネット上の)名誉毀損における賠償費目

慰謝料

慰謝料の算定にあたっては、さまざまなファクターから金額を決定します。例えば以下の項目などに着目して損害額を算定するのが一般的と言えます。

被害者の職業、経歴、地位など社会的な立ち位置、ステータス

この項目は損害額に大きく影響するファクターであり、例えば芸能人・文化人など著名人や、公人など社会的名誉への毀損が与える影響が大きい場合慰謝料額の増額事由になり得ます。

名誉毀損的言辞の拡散性、伝播状況など、名誉棄損的言辞の方法、影響力

この項目は特にテレビ、雑誌などのマスメディアや、インターネットなどの電子媒体など名誉毀損が行われた媒体によって慰謝料額に大きく影響を与えます。

名誉棄損的言辞の内容すなわち、悪質性、虚偽性或いは相当性、社会性、真実性

名誉棄損的言辞が悪質であること、虚偽であることは慰謝料の増額事由となり、反対に真実性、公共性が全面的に肯定できないとしても、相当程度認められる場合は慰謝料の減額事由ともなり得ます。

弁護士費用

名誉棄損に対して損害賠償を請求する場合、弁護士を代理人にたてて訴訟追行する際発生する弁護士費用が、積極損害として損害費目の一項目として認められるのが通常です。裁判所基準に応じた一定額が賠償の対象となります。

調査費用・削除費用(主にインターネット固有の費目)

インターネット特有の費用として、書き込み主を特定する費用と、書き込みを削除する費用を被害者が負担する場合、負担した費用を請求することが出来ます。弁護士費用と同様に裁判所基準により一定額の賠償額が積極損害として算定されます。ただし、弁護士費用程判例の集積がない部分です。

対抗言論の法理

平成13年東京地裁判決は、言論による反論によって不法行為が成立しないケース、いわゆる対抗言論の法理を認めています。

平成13年 8月27日東京地裁判決判時 1778号90頁(平11(ワ)2404号・損害賠償請求事件 (本と雑誌のフォーラム事件))

対抗言論の法理に関する判示部分

パソコン通信上の表現行為が、人の名誉ないし名誉感情を毀損したと認められるような場合には、表現行為者は、対象者に対し、不法行為に基づく責任を負うと解するのが相当である。

しかし、証拠(甲35、36)及び弁論の全趣旨によれば、①本件各発言が行われたフォーラムやパティオは、同じ趣味や共通のテーマに関心を持つ会員が集まり、議論を行ったり、情報を交換したりする場所であること、②フォーラムやパティオに書き込まれる発言は、一般に、フォーラムやパティオの会員等特定の人に限り理解することが可能な表現が多く用いられ、当該フォーラム、パティオに書き込まれた過去の発言を前提にしていることも少なくないから、不特定多数の第三者が、フォーラムやパティオでの発言内容を即時に把握することは容易ではないことが認められる。

したがって、フォーラムやパティオに書き込まれた発言が人の名誉ないし名誉感情を毀損するか否かを判断するに当たっては、問題の発言がされた前後の文脈等に照らして、発言内容が不特定多数の第三者に理解可能か否か、当該発言内容が真実と受け取られるおそれがあるか否かを判断の基礎とする必要がある。

(ウ) 加えて、言論による侵害に対しては、言論で対抗するというのが表現の自由(憲法二一条一項)の基本原理であるから、被害者が、加害者に対し、十分な反論を行い、それが功を奏した場合は、被害者の社会的評価は低下していないと評価することが可能であるから、このような場合にも、一部の表現を殊更取り出して表現者に対し不法行為責任を認めることは、表現の自由を萎縮させるおそれがあり、相当とはいえない。

(エ) これを本件各発言がされたパソコン通信についてみるに、フォーラム、パティオへの参加を許された会員であれば、自由に発言することが可能であるから、被害者が、加害者に対し、必要かつ十分な反論をすることが容易な媒体であると認められる。したがって、被害者の反論が十分な効果を挙げているとみられるような場合には、社会的評価が低下する危険性が認められず、名誉ないし名誉感情毀損は成立しないと解するのが相当である。

また、被害者が、加害者に対し、相当性を欠く発言をし、それに誘発される形で、加害者が、被害者に対し、問題となる発言をしたような場合には、その発言が、対抗言論として許された範囲内のものと認められる限り、違法性を欠くこともあるというべきである。

(オ) 以上のようなパソコン通信上の表現行為の特性に照らすと、パソコン通信上の発言が人の名誉ないし名誉感情を毀損するか否かを判断するに当たっては、発言内容の具体的吟味とともに、当該発言がされた経緯、前後の文脈、被害者からの反論をも併せ考慮した上で、パソコン通信に参加している一般の読者を基準として、当該発言が、人の社会的評価を低下させる危険性を有するか否か、対抗言論として違法性が阻却されるか否かを検討すべきである。

本と雑誌のフォーラム事件における対抗言論の法理が反論として主張された事例

平成28年 7月26日東京地裁判決(平27(ワ)11254号投稿記事削除等請求事件)

 被告の主張は,東京地裁平成13年判決を引用し,被害者が加害者に対して十分な反論を行い,それが功を奏した場合は,一部の表現を取り出して表現者に対し不法行為責任を認めることは相当とはいえないなどとして,原告の請求の不当を説くものである。しかしながら,上記判決は,会員を限定したフォーラムにおける一連の言論の応酬の過程において,一方の言論の一部を取り出してその表現者の不法行為責任を問うことの当否について説示したものである。これに対し,本件においては,被告の本件投稿と原告の反論とがインターネット上の共通の場で発信されたわけでも,本件投稿の時点で原告と被告との間に一連の言論の応酬があったわけでも,被告がその応酬の過程における原告の主張に対する反論として本件投稿を発信したわけでも,本件投稿がその応酬の過程における被告の一連の言論の一部にとどまるわけでもなく,かえって,原告の請求は,原告の前職時代の欠勤等の問題について原告と被告との間に何らの言論の応酬も生じていない状態の下で,被告の側から最初に発信した本件投稿の摘示する事実の中心部分をもって名誉毀損の不法行為責任を問うものであって,被告の主張の前提を欠く。この点をひとまずおくとしても,本件投稿について原告が十分に反論し,それが功を奏したといい難いことは,前記1(3)イに述べたとおりである。

平成28年12月 5日東京高裁判決(平28(ネ)4263号・投稿記事削除等請求控訴事件)

1審被告は,言論による侵害に対しては言論で対抗するという表現の自由の趣旨からすると,被害者から加害者に対して十分な反論が行われ,それが功を奏したような場合にまで,表現の一部を取り出して表現者の不法行為責任を認めることは,表現の自由を萎縮させるおそれがあり,相当でないという法理を述べた上,1審原告のフェイスブックと本件投稿との共通の読者が少なからずいるので,本件にも上記の法理が妥当し,かつ,1審原告が本件投稿よりも多くのスペースや時間を使って反論を行っていることからすれば,1審被告につき名誉毀損の不法行為責任を認めるのは相当とはいえない旨主張する。  また,1審被告は,名誉毀損に対する救済方法としては,まず反論・弁明(対抗言論)により名誉の回復を求めるべきであり,法的制裁は,対抗言論が機能しない場合にその限度で認められるべきで,被害者が表現者と同等以上のコミュニケーションツールにアクセスできる状況にあり,かつ,被害者が公職者等の批判・攻撃を受けることが予想される立場に自ら身を置いたといった事情が認められる本件のような場合には,名誉毀損表現につき違法性が阻却されるべきであるとも主張する。  しかしながら,本件においては,1審被告の本件投稿と1審原告の反論とがインターネット上の共通の場で発信されたわけではなく,本件投稿の時点で双方の間に一連の言論の応酬があったわけでもないなど,1審被告の主張の前提が欠けている。しかも,この点をひとまず措くとしても,本件投稿について1審原告が十分に反論し,それが功を奏したといい難いことは,いずれも原判決が正しく指摘するとおりである。なるほど,言論に対しては言論をもって対処することにより解決を図ることができれば望ましいものの,本件においてはそのようなことの前提が欠けるものというほかない。