著作権、或いは、著作権法は何を守る法律なのでしょうか。法律的には当然著作物、ということになりますが、では、著作物、とは、いったいどのような利益をもたらすものであると、捉えられているのでしょうか。
著作権においては、特許などの場合と異なり、進歩性・新規性といった社会の技術水準なり文化水準を明らかに一歩前進させた功績・結果に対する価値までは、要求されていません。進歩性・新規性がなく、既存の表現と同様の表現であっても、真にオリジナルに創作されたのであれば、その価値は保護されるのです。たとえば、誰でも知っている名作とほとんど同じ内容であったとしても、本当にその作品を知らずに創作したのであり、そのことを立証できるときは、後者の作品も著作権法の保護対象となり得ます。
その意味で、著作権法における保護は、社会に新たな価値をもたらしたという結果、功績までは求められておらず、オリジナルの表現、その人の個性を発揮する表現を創作したという労力、努力をもって保護に値するという評価が与えられることになります。
この意味で、著作権法における保護は、表現に時間を割いた、労力を使ったという点に保護を与える努力賞のような側面があると言えるかもしれません。
特許権や意匠権が、新たな水準の引き上げという功績、明確な結果を要件の一つとして要求していることと比しても、この点は著作権の顕著な特徴と言えるかもしれません。
では、著作権において保護されているのは、個性なのか、労力なのか、どちらなのでしょうか。創作性の要件について、現状の判例では、何らかの個性の発現があればよいとされています。逆に、どれだけ表現に労力をかけても、個性の表れがなければ、その表現は保護されないのです。したがって、厳密には、著作権法が、労力を直接保護している、とも言いにくい部分があります。
そうすると、著作権法が保護しているのは、「個性×労力」、つまり、「ほかの誰でもないその人自身が、表現行為を労力を割いて行ったこと」、なのかもしれません。
つまり、著作権法は、国民それぞれに対して、表現行為を推奨しており、それを実行したことに対しては、保護を与えているとも、捉え得るのではないでしょうか。