公衆送信、あるいは送信可能化において、送信主体を捉えるとき、実は、何が送信されたのか、という送信客体を先に確定しなければ、実効的な議論は行えないと思われます。
では、ウェブサイトにおいては、公衆送信された客体をいかに捉えるべきでしょうか。 この問題は、実はあまり深く議論されていない問題であり、公衆送信、送信可能化主体を把握する前提となる送信客体を適切に設定することは、実は実務上非常に重要なポイントではないかと思料されます。 すなわち、著作権法における公衆送信、送信可能化というとき、送信されるのは当然著作物であり、第一義的には当該著作物を含んだデータファイル、ということになりそうです。 しかし、その、著作物を含んだデータファイル、とは、一体どの範囲のデータファイルを指し示すのでしょうか。
公衆送信、送信可能化の客体となるファイルの把握の仕方によって、公衆送信主体、送信可能化主体も変容を受ける可能性があり、公衆送信、送信可能化権侵害が問題となる事案において、侵害主体論を形成するうえで、極めて重要な視点になり得ると考えています。 すなわち、あるJPGファイルをアップロードし、このJPGファイルをHTMLのSRC属性などで読み込んだ場合、送信されるのはJPGファイルと捉えられるべきか、HTMLファイルと捉えられるべきか、さらにいえば、サーバーに保存されたHTML,JPGファイルが送信されるのか、クライアント・コンピューターに受信されたHTMLファイル、JPGファイルがそれぞれ送信されたと評価すべきなのか、あるいは、クライアント・コンピューターにおいて受信されたHTMLファイルとJPGファイルの結合ファイルが送信されたと評価すべきなのか、という問題意識です。
この点は、自然的にみればサーバーに保存された著作物のデータたるJPGファイル等が送信されたと評価されることになりそうです。しかし、著作権法における、権利の侵害主体については、特に社会的な視点も加味して把握すべきとの考え方が、判例によっても示されているところです。この考え方は、侵害主体の把握の前提となる送信客体についても当然に影響を与える可能性があります。
そして、社会的な視点を加味して観察したとき、送信されたファイルは、クライアントサーバーにおいて受信されたHTMLファイルとJPGファイルの結合ファイルと観念する余地があるのではないかと思料されます。なぜなら、社会的に意味を持つのは現にクライアントコンピューターに形作られ、実際に機械語に翻訳の後にクライアントコンピューターのディスプレイにクライアントコンピューターにおける結合ファイル生成を企図した者が意図した情報を表示させる、クライアントコンピューターにおいて生成された種々のファイルの結合体だからです。
要はインターネットにおいてはクライアントコンピューターのリクエストに応じて、クライアントコンピューターに送られるファイルの内容というのは変容する場合があります。たとえば、PHPファイルなどのように、クライアントコンピューターの要請に応じてサーバーサイドでHTMLを書き出してクライアントコンピューターに送信する場合があります。さらに、サーバーサイドのデータは複数のサーバーに分属することもむしろ多いと言えます。
このとき、送信されたのはサーバーサイドのPHPファイルや複数のサーバーに分属するJPGファイル、HTMLファイル等と捉えるのではなく、クライアントサイドで形成された一つのHTMLファイル等の結合ファイルを、社会的に送信された客体と捉えるべき余地があるのではないでしょうか。 この意味で、公衆送信の侵害主体を把握するときにベースとなる送信の客体となるファイルは、必ずしも著作物の直接のデータを形作るJPGファイル等と捉えるべきでない場面も存在すると考えられます。