I2練馬斉藤法律事務所

I2練馬斉藤法律事務所は、著作権など知的財産権やコンテンツ産業、コンテンツ事業で問題となるコンテンツと法の問題を重視しています。

著作権法上の著作物性を巡る金魚電話ボックス作品「メッセージ」を巡る著作権侵害訴訟事件について解説しています。

PR I2練馬斉藤法律事務所は、著作権関連の事件に強い意欲と、最高裁判例をはじめとした訴訟、相談、調査業務に幅広い対応実績を有しています。著作権関連の問題で、リサーチ、法律相談、紛争解決など弁護士関与が必要な場合は、弊所までお気軽にお問い合わせください。

    インターネットの権利侵害の場合サイトやSNSアカウントのURLをご記載ください

    金魚電話ボックス事件控訴審判決(令和3年1月16日加筆)

    令和3年1月14日、金魚電話ボックス事件第一審を覆す控訴審判決が示されました。本項では、この控訴審判決をうけて、控訴審の判断について概略を検討します。

    争点

    本件の主な争点は、「原告作品の著作物性」、「著作権侵害の有無」の2点です。そこで、この2点について、控訴審判決を概説していきたいと思います。

    原告作品の著作物性

    控訴審判決では、原告作品と公衆電話ボックスを対比した時に、主に下記の4点の特徴があると述べています。

    第1「水で満たされている点」、第2「側面がアクリルガラスである点」、第3 「水中に50ー150匹の金魚が泳いでいること」第4 「電話ボックス内の受話器がハンガーから外され水中に浮いた状態で固定され、気泡が発生していること」。そこで、この点について順に判旨を見ていきます。

    第1 水で満たされている点

    表現の選択幅として、水の量をどの程度にするか、ということしかない点、水の量に注意を向ける者が多くいるとは考えられない点などから、電話ボックスに水を満たしているだけでは、創作性があるとは言い難いとしています。

    第2 側面がアクリルガラスである点

    通常の電話ボックスと違い蝶番がないからと言って、原告作品に創作性を肯定できるほどの事情とはならないと判示しています。

    第3 水中に50−150匹の金魚が泳いでいること

    斬新なアイディアであり泳がせる金魚の色と数と組み合わせで様々な表現が可能としながら、電話ボックスの大きさから考えると50匹から150匹の表現の選択は凡庸であり、原告が具体的に選択した金魚の種類、色、数からは、創作性を見出せるほどの表現には当たらないと判示しています。

    この点は判決に明示されていませんが、そもそも第1点の電話ボックスに水を満たさなければ、金魚を泳がせることはできません。その意味で、第3点は、電話ボックスに水を満たすという第1要素と、金魚を電話ボックスに入れるという要素、2つの要素を組み合わせた要素となります。

    また、一般的には観覧者の注意を最も惹く部分と考えられます。この点について、正面から著作物性を検討した点は、第一審に対する問題点を相克したものとして、高く評価できる判決だと考えます。

    ただし、そもそも金魚の中で選択の幅を検討しているものの、判決にも示されているとおり、タナゴやメダカなどの他の魚種の投入も考えられ、私としては、赤色の金魚(ワキン)を50−150匹投入した点に、すでに創作性を肯定できたと考えています。

    また、この判決では、一般的な金魚50−150匹の投入は個性がないと言ってますが、らんちゅうなど特徴のある金魚を、何か意味のある数を投入した場合などに創作性を肯定できる可能性を残している点には注意が必要です。

    第4 電話ボックス内の受話器がハンガーから外され水中に浮いた状態で固定され、気泡が発生していること

    控訴審判決では、人が使用していない公衆電話の受話器がハンガーから外され、浮いた状態で固定されていること自体非日常的な情景の表現と言えるし、気泡の発生も本来あり得ないと指摘しています。

    そして、受話器が浮き、気泡が発生していることから電話をかけ、通話をしている状態がイメージされており、鑑賞者に強い印象を与える。よって、この表現には個性が発揮されていると結論づけています。

    原審では、概要、公衆電話ボックス内に通常存在するものから気泡を発生させようとすれば受話器から発生させるのが合理的かつ自然であり、選択肢が限られる。そのことから、創作性を認めることはできないと判示されていました。

    同旨の一審被告側からの反論について控訴審は、本来構造的上、受話器に空気を通す機能はないから、そこから気泡が出ることで、何らかの通話(意思の伝達)を想起させる、暗喩とも言える表現性を見出せるとしています。

    この第4点が、控訴審判決の最も大きなポイントとなっています。

    この点は、ありふれた選択に過ぎないとした第一審と比較しても控訴審は、概要、「受話器が浮き、気泡が発生していることから電話をかけ、通話をしている状態がイメージされており、鑑賞者に強い印象を与える」とか、「本来構造的上、受話器に空気を通す機能はないから、そこから気泡が出ることで、何らかの通話(意思の伝達)を想起させる、暗喩とも言える表現性を見出せる」とか、金魚50匹から150匹を投入した点をありふれているとした裁判所と同じ裁判所と思えないほど、強い感受性を発揮しているようにも思えます。

    ただし、受話器から気泡を出す点に通話状態を想起させる狙いがあったのであれば、創作性を認めていい、つまり、固定された位置がちょうど人の頭の位置に固定されているのが、意図的な固定であれば、創作性は肯定できるというのが私見です。

    おそらく、金魚の部分と受話器の部分で裁判所の感受性が異なるようにも感じられるのは、受話器の部分が依拠性を肯首するためのポイントだったからではないかと思料します。

    しかし、固定位置が意図的なものでないのであれば、受話器の部分は依拠性の強い論拠となる部分であるが、だからといって、無理に単独で創作性を認めるまでの必要はなく、金魚と同様に作品全体として創作性を肯定する1要素に留めても良かったのではないかと思います。

    著作物性まとめ

    以上の検討を経て、控訴審裁判所は、第1点、第3点に第4点を加えることで金魚電話ボックス「メッセージ」には作品全体を通して創作性が認められると判示しています。

    著作権侵害の有無

    原審でも、著作物性は認められていました。原審は作品の類似性を否定して請求を棄却しました。しかし、本作品の枢要部であると控訴審が判示した第4点を含めた作品全体を対比した控訴審では、類似性に留まらず、同一性を肯定し、一審被告作品は、基本的に、一審原告作品の複製物であると(留保をつけながらも)判断しています。この電話ボックスの色合いなどが異なる両作品を複製と判断した点は、著作権法の理解に役立つ判示部分だと思います。

    同一性の肯定

    上記の第1、第3、第4点について、一審原告及び一審被告の作品は共通しているとしています。私には、控訴審は、この点のみで、同一性を肯定しているように読めました。

    これに対して、両作品は、電話機の機種、電話機の色、屋根の色、電話機の下の棚の形状、満たされた水の分量、蝶番の有無(ただし当初のみ)で相違点があるとしています。

    その上で、相違点はいずれもありふれた表現か、鑑賞者が注意を向けない部分であるから、新たな思想または感情を創作的に付加したとは言えないとしています。つまり相違点の判示は、複製か翻案かの選別の意味合いが強い判示部分のように感じました。

    そして、被告作品は表現上創作性のある部分を全て有形的に再製しているので、一審被告作品は、一審原告作品の複製物であるとしています。つまり、著作権法上、(その可能性を留保しつつ)似た作品ではなく、同一の作品であると判断しているのです。この判示は、至当と思料いたしました。

    依拠性について

    この点について、控訴審ではまず、平成24年8月に一審原告から金魚部に対する抗議があり、この時には美大教授において一審原告作品を知ったと認定しています。また、平成25年12月には、一審被告(自然人)も、一審原告作品を知ったと認定しています。

    次に、被告作品の元になった「テレ金」についても、原告作品に依拠したものであると認定しています。この点について、一審被告(自然人)から独自創作の主張が特にされなかったこと、金魚部が一審原告の抗議に反論もなく作品を取り下げたことなどから総合的に依拠性を否定できないと結論づけています。

    依拠性については、本件の最大のポイントだと考えていました。そして、第1点および第3点からは、依拠性の推認まではできず、従って、依拠性の立証は困難なのではないかと考えていました。

    この依拠性の認定のポイントになったのが、受話器の部分だと思います。そして、控訴審判決は、依拠性のポイントに受話器を据えたからこそ、受話器の部分だけ他の要素とは異なるとも感じられるほどの強い感受性を示して創作性を認めた可能性があるように思われます。

    つまり、受話器から気泡が出ていることまではあり得ても、同様に上方に固定されていることはあり得ないという認定が背後にあるような気がします。

    全くの私見ですが著作権侵害の心証を持ったものの、依拠性の立証がやや弱いと感じた控訴審裁判所は、依拠性の論拠及び創作性の核として受話器に着目し、この部分を創作性及び、依拠性を肯定する柱に据えたのではないかと考えられます。

    このように、全くの私見ですが、受話器の点に創作性が認められたのは、依拠性の強い論拠となり得る部分に創作性も付加して判決を補強するための判決実務技術的な側面もないわけではないように思われます。

    依拠性の部分は正直、それでもやや論拠に薄く、この程度で依拠性の立証を認めていいのか疑問もないわけではありません。依拠性の認定を甘くしてしまうとたまたま似てしまった場合に著作権侵害が肯定されやすくなり、創作に萎縮が生じやすいからです。

    しかし、独自創作の抗弁が出されれば格別、確かに独自創作の抗弁が全く出されなかったのであれば、それは依拠性について有効な反論がなかったということも意味し得ますので、その意味で、事案の判断としては、若干の疑問はあるものの、依拠性を肯定した点も、妥当な範囲内であると思料いたします。

    控訴審総括

    総じて、依拠性の点に(受話器のみに単独で創作性を認めた部分を含めて)若干の疑問も感じつつも、個人的には違和感を感じる部分が少なくなかった(後掲)一審判決の問題点をクリアしながら、控訴審の判断を示した極めて評価できる判決だと思料いたします。

    金魚電話ボックス事件第一審判決

    判決を整理するために以下、ポイントを抜き出して記載しますが、表現はそのままではなく、少し補足的に書いているところもあります。

    原告の主張する著作物性のポイント

    ①電話ボックス状の造形に仕立てた水槽に、電話機も設置された状態で金魚を泳がせるという選択。②ろ過装置などを水槽底部に設置して空気を送り込むのが機能上最適であるにもかかわらず受話器から気泡を生じさせる工夫を施した表現。

    被告らの反論(著作物性)

    ①公衆電話ボックスに金魚を入れるという発想自体はアイディアであり著作権法上の保護対象ではないし、公衆電話ボックスに金魚を入れるという表現はありふれており保護されない。②受話器から気泡を発生させている点も受話器は構造上空気がとおりから、公衆電話ボックスを水槽に見立てる時点で避けられないため、個性の表れとは言えない。

    原告同一性の主張

    ほぼ同一形状の公衆電話ボックス内に金魚を泳がせ、同水槽内公衆電話機受話器から気泡を発生させる点で、同一性が認められる。

    裁判所の判断

    原告主張の著作物性の否定

    ①電話ボックス状の造形に仕立てた水槽に、電話機も設置された状態で金魚を泳がせていることは、アイディアに他ならない。アイディアそれ自体は著作権法上の保護対象とならない。

    ②ろ過装置などを水槽底部に設置して空気を送り込むのが機能上最適であるにもかかわらず受話器から気泡を生じさせる工夫を施した表現は、もともと穴が開いている受話器から発生させるのが合理的かつ自然な発想である。すなわち(電話ボックスを水槽に見立てるという)アイディアから選択肢が限られる。このようなアイディアを実現する選択肢が限られる場合は限られた選択肢は著作権法上の保護対象とならない。

    以上、原告が主張する著作物性の①および②は、いずれも著作物性を肯定する事情とはならない。

    裁判所が認めた著作物性

    公衆電話ボックスの造作物の色・形状、設置された電話機の種類・色・配置などの具体的な表現においては創作性を認めることができるから著作物にあたる。

    裁判所の同一性判断

    原告作品と被告作品の対比①電話ボックス造作物

    共通点としては、垂直方向に長い直方体で、側面4面がガラス張りの造作内部に水を満たし①金魚を泳がせている。相違点は、屋根の色や、部材が異なる点など。

    原告作品と被告作品の対比②公衆電話機(及び棚)

    いずれも棚板2枚の上段に電話機が設置されている。しかし、電話機の色、やタイプ、棚の色や、下段の棚の形状などが異なる。

    原告作品と被告作品の対比③受話器

    両作品とも、受話器が外された状態で浮かんでおり、②気泡が発生している。

    裁判所の同一性判断

    ①公衆電話ボックス内に金魚を泳がせ、②同水槽内公衆電話機受話器から気泡を発生させる点は保護の及ばない部分に関する主張である(から確かに共通しているが、著作権法上の同一性の問題とならない。)。

    棚板2枚の上段に電話機が設置されている。両作品とも、受話器が外された状態で浮かんでいる。しかし、棚板2枚の上段に電話機が設置されている点はアイディアから必然的に生じる選択であるから創作性がない。

    そうすると、具体的な表現として一致するのは、受話器が外された状態で浮かんでいる点だけであるが、この点以外は一致していないから、原告作品と被告作品に同一性は認められない(直接感得性がない。)。

    検討

    裁判所の判断構造

    裁判所の判断構造は、原告作品と、被告作品に、①公衆電話ボックス内に金魚を泳がせ、②同水槽内公衆電話機受話器から気泡を発生させる、③棚板2枚の上段に電話機が設置されているなど、共通性を複数点見いだしながら、共通部分については、アイディア過ぎないか、アイディアから必然的に導かれる選択であることから、創作性がないと判断しています。そのうえで、受話器が外された状態で浮かんでいる点についてのみ共通であるとしながら、当該部分のみが共通であるというだけで、その他の要素が異なっている原告作品と被告作品においては著作権法上の同一性がないものと判断しました。

    金魚電話ボックス事件第一審判決に対する批判的検討

    下記のエントリで金魚電話ボックス事件判決についてポイントに絞って抜き出し判断枠組みの概要を論じました。

    この記事では、同奈良地方裁判所の判決について、批判的な検討を加えます。この記事は、奈良地裁判決について、肯定的な見解も多い中、まだあまり出されていない批判的な検討意見を紹介し、事案を多角的に考察してもらうことを狙いとした情報発信です。

    本判決の根本的な疑問点

    判決では金魚を電話ボックスに入れるというアイデアの著作物性を否定しています。この点は、あまり違和感がありません。

    しかしこれとは別に、具体的表現を裁判所が救済的に著作物と認定するときに、原告電話ボックス造作物に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」、という、裁判所の拾い上げでは表現の範疇に入ってくるべき部分が、拾い上げられていない理由が明確ではないと感じています。この点が、本判決に対する個人的な一番の疑問点です。

    金魚を電話ボックスに入れる、というアイデアとは別に、原告電話ボックス様造作に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」具体的な表現が救済されていない理由がはっきりと示されていないのです。

    当事者が主張していないというなら、それは、裁判所が著作物性を認めた電話ボックス状の原告造作物も同じです。すると、当事者が著作物として判決書上は主張したという記載のない電話ボックス状の造作物を救済的に保護した手前、造作物内の「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」電話ボックスという表現物として救済することもできたはずです。

    このとき、「電話ボックスに金魚を泳がせる」、という抽象的なアイデアについて著作物性を否定したことは、上記の態様の具体的な金魚が原告選択によって投入され泳いでいる表現について、救済的に拾い上げない理由にはなり得ないというのが私見です。富士山の写真について、富士山自体は著作権法上保護されないと言ったとしても、次に富士山を捉えた具体的な写真表現について、著作物性を検討するのは全く別の話です。

    そうすると、電話ボックスの具体的な「公衆電話ボックスの造作物の色・形状、設置された電話機の種類・色・配置などの具体的な表現」は著作物であるとしながら、より枢要的な表現である、当該造作物に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現を含めて保護しなかった理由が必要になります。しかし、判決ではそこには触れられていません。

    推測すれば、当事者が主張していない(これも判決書上は、ということです。)から、結論が変わる可能性がある救済はできなかった、ということになるのかもしれません。

    ただし、そうであるとしてもやはり、「公衆電話ボックスの造作物の色・形状、設置された電話機の種類・色・配置などの具体的な表現」は著作物であるとしながら、より枢要的な表現である、当該造作物に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現を無視するのは、不自然とも感じられ、本来、当該具体的な金魚投入を含めた表現を保護すべきだったというのが、私見です。

    その上で、原告の「公衆電話ボックスの造作物の色・形状、設置された電話機の種類・色・配置など」に、「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現と、被告の公衆電話ボックスに、「30ー40匹の赤色の金魚と、1匹の黒色の体長6〜8センチメートルの大型のワキン(かこれに類似した種類の)金魚を投入して」泳がせる表現に同一性が認められるか、という判断を経るべきだったのではないかと思われます。そのうえで、同一性なしという判断なら、よく検討された判断権者の判断として、受け入れ易かったと思いました。

    マリオの例

    近時、マリオに関してコスチュームなどの保護も含めた知財高裁判決が出されるなど話題になりました。

    そこで、このマリオを例にして今回の奈良地裁判決に対する当エントリで述べられている批判的検討をわかりやすく説明してみたいと思います。

    「マリオ」に引き直して考えると、中年の配管工に赤と青のコスチュームというキャラクターコンセプトはアイデアであって保護しない、という点をまず判断しています。←この点は、「なるほど」と思うところです。

    しかし、次に「マリオイラストの着ている赤と青のコスチューム」は、具体的な表現であって、著作物に当たると、判断していることになります(原告電話ボックス造作の著作物性肯定部分。)。←この点は、「えっ!?」というのが正直なところです。驚きの理由は2つで、何故そこだけ拾い上げるのでしょうか?という驚きと、そこに著作物性は肯定するのは難しいのでは??という驚きです。

    しかし、その後、マリオイラスト(原告著作物の引き直し)とルイージイラスト(被告作品に該当)のコスチューム「だけ」を対比して同一性を否定しているイメージになります。いわば、デザインが似ているがそれはオーバーオール一般の特徴だし、色が違うなど異なる点もあるので、マリオとルイージのイラストのコスチュームは同一の著作物と言えない、と判断しているように思われます。この点から、同一性は認められないため非侵害と判断していますが、やはり、なぜコスチューム部分だけを拾い上げてイラストの顔部分については無視して比較したのか疑問を残してしまいます。

    つまり、ここで率直な疑問は、マリオイラストの顔部分はどこにいった??というものです。すなわち、本件判決に引き直せば、原告電話ボックス造作物に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」というマリオのイラストでいうと顔に当たるような、表現の枢要部分が換骨奪胎されており、この点に明確な説明がないように感じられます。

    また、さらにマリオに引き直して例えると、マリオとルイージの中年の男性配管工というキャラクターコンセプトは共通している、と判断したと捉えられます。そのうえで、キャラクターコンセプトという抽象的なアイデア(実際の判決では電話ボックスに金魚を投入するというアイディア部分)は、共通していたとしても、著作権法上保護されない、と判断されていると理解できます。 

    ここでも、 マリオの例でいうと、抽象的なキャラクターコンセプトの共通性が保護対象にならないのは理解できるが、そもそも、具体的なマリオイラストの顔部分の表現は??肝心の顔を含めたイラスト表現の対比はどこへいった??顔含めたらマリオとルイージ結構似てるのに、顔は???という素朴な疑問が浮かんできます。

    総括

    このように、肝心の表現部分(原告公衆電話造作に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現と、被告の公衆電話ボックスに、「30ー40匹程度の赤色と、1匹の黒色のそれぞれ体長6〜8センチメートルの大型のワキン(かこれに類似した種類の)金魚を投入して」泳がせる表現)を含めて対比をして、そのうえで似ていないと裁判所が判断したら、それは、判断権者の判断なので、一つの判断として納得できたというべきです。

    しかし、本判決は理由もなく中核が換骨奪胎されているので、得心が得られるものではない、というのが個人的な本判決に対する批判的な検討結果です。

    さらに言えば、肝心の表現部分である、原告公衆電話造作に「9割程度が赤色で、残り1割程度が黒色の、体長2〜3センチメートル程度の小型の、おそらくワキン(かこれに類似したオーソドックスな)金魚150〜200匹程度を投入した」表現と、被告の公衆電話ボックスに、「30ー40匹程度の赤色と、1匹の黒色のそれぞれ体長6〜8センチメートルの大型のワキン(かこれに類似した種類の)金魚を投入して」泳がせる表現を対比したとき、結論はどちらもあり得る、というのが個人的な見解です。もっとも、同一性を肯定できる場合も、次に依拠性の立証に奏功する必要がありますが、この点は本判決では判断されていない部分ですので、当エントリでも特に触れていません。

    インスタレーションメッセージ訴訟と抽象的な表現

    以下は一審判決前にツイートした本事件を踏まえた言及です。

    現に判決では、原告著作物に著作物性を認めながら、被告との共通部分はアイデアに過ぎないとして、請求を棄却しています。

    関連記事一覧