著作権法は、表現を保護し、アイディアを保護しません。このように、著作権法上は、具体的な表現に至って初めて法律的な保護を受けることになります。
それでは、アイディアと具体的な表現の違いは、どのような点にあるのでしょうか。
現在の著作権法実務では、アイディアと表現が、明確に交通整理されていないことが、少し問題を分かりにくくしている気がしています。
つまり、頭の中にあり、まだ表現されていない文字通りのアイディアの意味と、具体的な表現から読み取れるアイディアとが、混同的に使用されているきらいがあります。
表現されていない頭の中のアイディアは保護され得ない
頭の中の構想に過ぎない場合、表現されていないのだから当然に著作権法の保護を受け得るはずがありません。物に固定する必要はありませんが、他者から認識される形で表現されることが著作物足り得る条件になります。頭の中に思い浮かべただけではどのような壮大な表現も著作権法上保護されることはありません。
具体的表現から抽出できるアイディア
これに対して、具体的な表現物から読み解けるアイディア、という別の文脈も、著作権法の世界では存在しています。例えば、「七つのボールを集めると、竜が召喚できて願いを叶えてくれる。」というドラゴンボールの「アイディア」については、著作権法上はアイディアに過ぎないので保護されないと考えられています。
つまり、まったく「別のキャラクター」、「別の絵」、「別の台詞」で「七つのボールを集めると、竜が召喚できて願いを叶えてくれる」漫画を描いても、著作権を侵害しないと考えるのが一般的です。
しかし、「7つのボールを集めると竜が召喚出来て、願い事を叶えてくれる」というアイディアは、頭の中の構想に留まらず、実際に漫画の中で表現されています。
そうすると、ここでいうアイディアというのは、先ほどの構想としてのアイディアとは区別して考えるべきと思われます。
この、表現されたアイディアの扱いが曖昧なのが、今の著作権法実務であると理解しています。
つまり、何が表現されたアイディアであり、どこからが具体的な表現なのか線引きが曖昧であり、場合によっては、アイディアかどうかの文脈で、保護に値する表現と保護に値しない表現の選別が行われているケースもあるように感じています。
著作権法上保護に値しない表現
つまり、実質的にはこの表現は今の著作権法では保護されないし、保護に値しないという文脈で、これはアイディアだから保護されないという表現が使われているケースがあるものと思料されます。
本来、その文脈で働くのは創作性の要件等のはずですが、表現として保護に値するか否かを判定するファクターでもアイディアは保護しないというマジックワードが機能しているきらいがあります。
このことを正当化する説明として、著作物が、「思想又は感情の表現」とされていることが指摘されます。つまり、”思想又は感情の表現”は保護されますが、”思想又は感情”自体は保護されないことから、ここで、具体的な表現と、思想又は感情を切り分けて後者を保護の対象から選別する作業が正当化されることになります。しかし、具体的な表現から思想感情を切り離す作業が果たして妥当でしょうか。
また、具体的な表現を抽象化したものは、果たして、アイディアなのでしょうか。この部分について、実際に行われている作業は、具体的な表現からの情報量のそぎ落としにすぎません。つまり具体的な表現においては100あった情報量を、10にしたときいまだに保護に値するか、3にしたらどうか、情報量を10にしたときまだ創作性(要保護性)は残存するか、という議論がなされているにすぎないように考えられます。
そうすると、後者、つまり、具体的な表現からの抽出は、アイディアというより、具体的表現の翻案作業であり、そして、「7つのボールを集めると竜が召喚出来て、願い事を叶えてくれる」というレベルまで抽象化するともはや元のドラゴンボールという漫画の具体的な表現の本質的特徴をもはや感得できない別の表現になる、というに過ぎないのかもしれません。
いずれにせよ、概念の整理が必要な部分なのではないかと考えられます。
小括
いずれせによ、著作権法で、構成やアイディアは保護されません。他の作品を参考にしていても、インスパイアは適法で、盗作は違法ということになります。
ただ、著作権法で保護される「表現」と、保護されない「アイディア・構成」の区切りは曖昧です。
個人的な見解としては、作品として世に出ている以上、「アイディアや構成」も表現されていることになります。
そうすると、「アイディアや構成」も「表現」物の内容のひとつということになります。
ただ、今の著作権実務では、アイディアや構成は保護されないというマジックワードが使われることがあります。そして、ここでいうアイディアや構成は、具体的な表現から抽出できるアイディアや構成ということになります。なぜなら、表現さえされていない頭の中にあるアイディアは、他者がその存在さえ知ることはないからです。
したがって、アイディアは保護されないというときのアイディアは、具体的な表現から抽出できる実際には表現されているアイディアということになります。
そうであれば、結局行われているのは、保護される「表現」と保護されない「表現」の切り分け作業ということもできます。
いわば、著作権法において明文で要件とされていない要保護性の判断が実質的に行われ、解釈の歴史的な経緯から要保護性を欠く表現を「アイディア」と呼んでいるのが実態に近い状況があるのではないかと考えています。
このとき、あらすじや、さらに大きな物語の「構成」というものは、保護されない傾向にあります。
つまり、具体的な表現を煮詰めていって、あらすじのレベルまで抽象化してしまうと、薄まりすぎて、著作権法で保護されるべき表現としての要保護性を欠くと判断される場合が多いと考えられます。
異なる作品の比較においても、あらすじが似ているだけでは、著作物の類似性(ひいては表現の要保護性)がないという判断に至ることになります。
あらすじレベルで保護されないという判断が多いのですから構成というさらに抽象的なレベルに来るとさらに保護しにくいということになるかと思います。
実際のクリエイトにおける検討
ストーリーの背景にある設定やアイディアについて、実際の創作活動から得られた法的検討もまとめています。