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著作権、著作者人格権などインターネット上の知的財産権侵害を巡って、主にプロバイダ責任制限法の発信者情報開示請求訴訟を通して、対立する通信の秘密との関係で、知的財産権を人権として再構成する必要が強くなっています。

ここでは、なかでもインターネット上の権利侵害が多く生じている著作権・著作者人格権などを憲法上の人権としていかに位置付けていくか、問題点や裁判例などの情報を記載していきたいと思います。

PR 弁護士齋藤理央は、インターネット上の権利侵害に対して幅広く対応経験があります。インターネットでご自身の権利を侵害されたという際は、弊所までお気軽に御相談ください。

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    著作権・著作者人格権の憲法的根拠付け

    著作者人格権は憲法21条の価値を不可分に化体しているとの結論は比較的導きやすいところです。上記論文内でも、「憲法との関係における知的財産制度について」において、著作者人格権について憲法21条による根拠付けが示されています。

    これに対して、著作権、特に著作財産権に化体し た憲法上の人権及び利益については、憲法29条説、憲法13条説、憲法2 1条説が指摘されています(上記、著作権と憲法理論)。

    このうち、著作財産権に化体した憲法上の人権及 び利益をどれかひとつの憲法上の人権及び利益に限定する必要はなく、また、 どれかひとつに限定することは不適切というべきです(私見)。

    よって、 著作財産権に化体した憲法上の人権及び利益としては、憲法13条、憲法2 1条、そして、憲法13条及び21条を実効的に保護する手段として、財産権としての憲法29条的保障が認められていると解すべきでしょう。

    このように、国民全員が情報を発信し得るようになったインターネット全盛の現代において、著作者人格権のみならず、著作財産権についても憲法21条及び憲 法13条の価値が権利の中核的位置に化体していることは明らかというべきです。

    また、その中でも公共的な意味合いでは憲法21条の価値がもっと も重視されるとの捉え方もあり得るでしょう。すなわち、国民の大多数が単に情報の受け手ではなく、情報の送り手とし ての地位も確立したインターネット全盛の現代において、著作権のうち著作者人格権のみならず、著作財産権についても、憲法21条の保障を最も中心 的な憲法上の人権及び利益のひとつと捉えるべきとの見方もできます。

    つまり、著作物という表現物に対するコントロールが及ぶことで、国民は 表現の自由市場に安心して情報や言論を発信できることになります。そこで、著作権法制度 をとおして、表現へのコントロール権を保障することで、表現の自由市場へ の表現の発信を保障し、表現空間を実効的に確保することをもって民主制に 資する点こそが、著作財産権法の現代におけるもっととも高い公共的意義の 一つというべきです。すなわち、よく言われる「表現の自由のエンジン」 としての著作権の保障です。また、さらにいえば、表現の自由の防壁として著作 権が保障されているとも言い得るところです。

    そして、自由な情報の発信と受信を保障する表現の自由の防壁という位置づけは、インターネット上において通信の秘密と同等なものと言い得ます。 このように、現代において、著作権の保護は、通信の秘密と同様に表現の自由の防壁としての機能を有し、共に民主制にとって不可欠のものとして同等か優位な位置付けを与え得ます。

    反面、著作権法は確かに、第三者の表現の自由を委縮させる虞があるところです。

    そこで、国が著作権法に規律された表現空間の確保と、第三者の表現の自由へ の制約を調整し、表現の自由の調整を図り、もって民主制に最も適化した表 現空間を確保することが、著作権法の憲法上のもっとも重要な現代的役割のひとつ ということができそうです。

    自由な創作と普及の原動力“表現の自由のエンジン”としての著作権

    エルドレッド対アシュクロフト事件において、米国連邦最高裁は、下記の通り述べて著作権が表現の自由の原動力である点を指摘しています。

    表現の自由の原動力論

    The Copyright Clause and First Amendment were adopted close in time.

    著作権条項と憲法修正第1条は、近い時期に採択されています。

    This proximity in- dicates that, in the Framers’ view, copyright’s limited monop- olies are compatible with free speech principles.

    この著作権法と修正第1条の成立の近接性は、フレーマーの視点から見ると、著作権により私人に保障される独占権は、言論の自由と両立するものであることを示しています。

    Indeed, copyright’s purpose is to promote the creation and publica- tion of free expression.

    実際、著作権の目的は、自由な表現の創造と公開を促進することにあります。

    As Harper& Row observed: “[T]he Framers intended copyright itself to be the engine of free expression.

    Harper&Row事件では次のような見解が示されています。つまり、フレーマーは、著作権自体を表現の自由の原動力とすることを意図していました。

    By establishing a marketable right to the use of one’s expression, copyright supplies the economic incen- tive to create and disseminate ideas.

    すなわち、自分の表現を発信する価値を与える市場性のある権利を確立することにより、著作権は、アイデアを創造し普及させるための経済的な動機を与えるのです。

    著作者の表現の自由

    平成17年7月14日 最高裁 判決・ 民集第59巻6号1569頁(裁判所ウェブサイト)が、著作者の表現の自由という直接的な表現のもと、著作者人格権に定められていない著作者の人格的利益を保護することを宣明しています。

    主 文

    原判決のうち被上告人に関する部分を破棄する。

    前項の部分につき,本件を東京高等裁判所に差し戻す。

    理 由

    事案の概要

    原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

    (1) 上告人A1会(以下「上告人A1会」という。)は,平成9年1月30日 開催の設立総会を経て設立された権利能力なき社団であり,「新しい歴史・公民教 科書およびその他の教科書の作成を企画・提案し,それらを児童・生徒の手に渡す ことを目的とする」団体である。その余の上告人らは,上告人A1会の役員又は賛 同者である(ただし,上告人A2は,上告人A1会の理事であった第1審原告Dの 訴訟承継人である。以下,「上告人ら」というときは,上告人A2を除き,第1審 原告Dを含むことがある。)。

    (2) 被上告人は,船橋市図書館条例(昭和56年船橋市条例第22号)に基づ き,船橋市中央図書館,船橋市東図書館,船橋市西図書館及び船橋市北図書館を設 置し,その図書館資料の除籍基準として,船橋市図書館資料除籍基準(以下「本件 除籍基準」という。)を定めていた。 本件除籍基準には,「除籍対象資料」として,「(1) 蔵書点検の結果,所在が 不明となったもので,3年経過してもなお不明のもの。(2) 貸出資料のうち督促 等の努力にもかかわらず,3年以上回収不能のもの。(3) 利用者が汚損・破損・ 紛失した資料で弁償の対象となったもの。(4) 不可抗力の災害・事故により失わ れたもの。(5) 汚損・破損が著しく,補修が不可能なもの。(6) 内容が古くなり ,資料的価値のなくなったもの。(7) 利用が低下し,今後も利用される見込みが なく,資料的価値のなくなったもの。(8) 新版・改訂版の出版により,代替が必要なもの。(9) 雑誌は,図書館の定めた保存年限を経過したものも除籍の対象と する。」と定められていた。

    (3) 平成13年8月10日から同月26日にかけて,当時船橋市西図書館に司 書として勤務していた職員(以下「本件司書」という。)が,上告人A1会やこれ に賛同する者等及びその著書に対する否定的評価と反感から,その独断で,同図書 館の蔵書のうち上告人らの執筆又は編集に係る書籍を含む合計107冊(この中に は上告人A1会の賛同者以外の著書も含まれている。)を,他の職員に指示して手 元に集めた上,本件除籍基準に定められた「除籍対象資料」に該当しないにもかか わらず,コンピューターの蔵書リストから除籍する処理をして廃棄した(以下,こ れを「本件廃棄」という。)。 本件廃棄に係る図書の編著者別の冊数は,第1審判決別紙2「関連図書蔵書・除 籍数一覧表」のとおりであり,このうち上告人らの執筆又は編集に係る書籍の内訳 は,第1審判決別紙1「除籍図書目録」(ただし,番号20,21,24,26を 除く。)のとおりである。

    (4) 本件廃棄から約8か月後の平成14年4月12日付け産経新聞(全国版) において,平成13年8月ころ,船橋市西図書館に収蔵されていたEの著書44冊 のうち43冊,Fの著書58冊のうち25冊が廃棄処分されていたなどと報道され ,これをきっかけとして本件廃棄が発覚した。

    (5) 本件司書は,平成14年5月10日,船橋市教育委員会委員長にあてて, 本件廃棄は自分がした旨の上申書を提出し,同委員会は,同月29日,本件司書に 対し6か月間減給10分の1とする懲戒処分を行った。

    (6) 本件廃棄の対象となった図書のうち103冊は,同年7月4日までに本件 司書を含む船橋市教育委員会生涯学習部の職員5名からの寄付という形で再び船橋 市西図書館に収蔵された。残り4冊については,入手困難であったため,上記5名が,同一著者の執筆した書籍を代替図書として寄付し,同図書館に収蔵された。

    本件は,上告人らが,本件廃棄によって著作者としての人格的利益等を侵害 されて精神的苦痛を受けた旨主張し,被上告人に対し,国家賠償法1条1項又は民 法715条に基づき,慰謝料の支払を求めるものである。

    原審判断

    原審は,上記事実関係の下で,次のとおり判断し,上告人らの請求を棄却す べきものとした。 著作者は,自らの著作物を図書館が購入することを法的に請求することができる 地位にあるとは解されないし,その著作物が図書館に購入された場合でも,当該図 書館に対し,これを閲覧に供する方法について,著作権又は著作者人格権等の侵害 を伴う場合は格別,それ以外には,法律上何らかの具体的な請求ができる地位に立 つまでの関係には至らないと解される。したがって,被上告人の図書館に収蔵され 閲覧に供されている書籍の著作者は,被上告人に対し,その著作物が図書館に収蔵 され閲覧に供されることにつき,何ら法的な権利利益を有するものではない。そう すると,本件廃棄によって上告人らの権利利益が侵害されたことを前提とする上告 人らの主張は,採用することができない。

    上告審判示

    しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次 のとおりである。 (1) 図書館は,「図書,記録その他必要な資料を収集し,整理し,保存して, 一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資することを 目的とする施設」であり(図書館法2条1項),「社会教育のための機関」であっ て(社会教育法9条1項),国及び地方公共団体が国民の文化的教養を高め得るよ うな環境を醸成するための施設として位置付けられている(同法3条1項,教育基 本法7条2項参照)。公立図書館は,この目的を達成するために地方公共団体が設 置した公の施設である(図書館法2条2項,地方自治法244条,地方教育行政の組織及び運営に関する法律30条)。そして,図書館は,図書館奉仕(図書館サー ビス)のため,1図書館資料を収集して一般公衆の利用に供すること,2図書館資 料の分類排列を適切にし,その目録を整備することなどに努めなければならないも のとされ(図書館法3条),特に,公立図書館については,その設置及び運営上の 望ましい基準が文部科学大臣によって定められ,教育委員会に提示するとともに一 般公衆に対して示すものとされており(同法18条),平成13年7月18日に文 部科学大臣によって告示された「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」( 文部科学省告示第132号)は,公立図書館の設置者に対し,同基準に基づき,図 書館奉仕(図書館サービス)の実施に努めなければならないものとしている。同基 準によれば,公立図書館は,図書館資料の収集,提供等につき,1住民の学習活動 等を適切に援助するため,住民の高度化・多様化する要求に十分に配慮すること, 2広く住民の利用に供するため,情報処理機能の向上を図り,有効かつ迅速なサー ビスを行うことができる体制を整えるよう努めること,3住民の要求に応えるため ,新刊図書及び雑誌の迅速な確保並びに他の図書館との連携・協力により図書館の 機能を十分発揮できる種類及び量の資料の整備に努めることなどとされている。 公立図書館の上記のような役割,機能等に照らせば,公立図書館は,住民に対し て思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めるこ と等を目的とする公的な場ということができる。そして,公立図書館の図書館職員 は,公立図書館が上記のような役割を果たせるように,独断的な評価や個人的な好 みにとらわれることなく,公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うも のというべきであり,閲覧に供されている図書について,独断的な評価や個人的な 好みによってこれを廃棄することは,図書館職員としての基本的な職務上の義務に 反するものといわなければならない。 (2) 他方,公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その 思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。

    したがって ,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由 とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によって その思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならな い。

    そして,著作者の思想の自由,表現の自由が憲法により保障された基本的人権 であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されて いる著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが 相当であり,【要旨】公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄につい て,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人 的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利 益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである

    (3) 前記事実関係によれば,本件廃棄は,公立図書館である船橋市西図書館の 本件司書が,上告人A1会やその賛同者等及びその著書に対する否定的評価と反感 から行ったものというのであるから,上告人らは,本件廃棄により,上記人格的利 益を違法に侵害されたものというべきである。

    したがって,これと異なる見解に立って,上告人らの被上告人に対する請求 を棄却すべきものとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令 の違反がある。論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由があり,原判決のうち被 上告人に関する部分は破棄を免れない。そして,本件については,更に審理を尽く させる必要があるから,上記部分につき本件を原審に差し戻すこととする。 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

    リツイート事件と憲法上の人権

    リツイート事件も憲法上の人権の問題として捉えるとより深い考察が可能になります。

    リツイート事件はプロバイダ責任制限法が問題となっています。このプロバイダ責任制限法で外せない視点が少数者の人権保障の問題だということはより多くの方に知っていただきたい問題だと考えています。

    実は、プロバイダ責任制限法は多数派の利益を少数派の犠牲の元に成り立たせる性格が強い立法であり、少数派の権利擁護を使命とする弁護士として問題を感じることも多い法律です。

    リツイート事件において原告代理人から憲法上の主張が出されているのも、クリエイターという社会の中では少数者に属する人の人権保護の観点から司法による救済が必須の場面であることを訴求するもので、事案の性質上自然な主張でした。

    つまり、表現の創造者だけが自身の創作をインターネット上で自由に使える状況を受け入れれば、経済も回るし、みんな自由に文化活動を享受できて悪いことはないでは無いかという考え方です。ここでは、少数の犠牲者だけが泣けば全てうまく回るが、それで問題がないという考え方が強く支配していると考えています。

    また、誹謗中傷問題にしても、被害者だけが見過ごされ、一部の被害者が叩かれてインターネットは盛り上がり、その結果利を得る情報伝播や経済活動だけが重視されている構造があります。ここでもインターネットの盛り上がりや、その結果としての経済活動を優先していることを糊塗するために、通信の秘密が金科玉条の如く主張されているのではないかと感じることがあります。

    もちろん、インターネットの盛り上がりや、経済活動は重要です。ただ、それが少数者の犠牲の上に成り立つものだとしたとき、手放しで肯定できるものかはよく検討しなければなりません。

    今年の春に、この問題が社会的にクローズアップされました。しかし、多数派の利益のために少数者が犠牲を強いられるのはそもそもプロバイダ責任制限法の性格から自然と帰結するところであり、痛ましい事件も氷山の一角であり、現実には大小の少数者の犠牲のうえに多数派の利益を成り立たせるのがプロバイダ責任制限法の元々の性格であるとも言えます。

    さらにプロバイダ責任制限法は、委任立法によって省令で発信者情報をコントロールし、少数者を司法的救済から遠ざけていると私は考えています。

    この、リツイート事件から読み取れるプロバイダ責任制限法のもう一つの性格は広く知られるべきと考えています。

    この点が重要な部分だ考えています。残りは、蛇足の部分であり興味のある方だけご笑覧ください。

    リツイート事件と憲法21条の関係

    このようにリツイート事件においては、プロバイダ責任制限法が問題となっており、プロバイダ責任制限法は憲法上の議論を内包しています。

    すなわち、インターネットの情報流通、通信の秘密などと、少数者の人権保障という国民間の憲法上の利益が請求者と発信者の間で激しく対立するため、常に憲法的な検討の必要性が伴う法分野と考えられます。

    著作権法と表現の自由

    加えて、著作権法と表現の自由の問題も、活発な議論がある論点となっています。

    著作者人格権と表現の自由

    さらに言えば、著作者人格権侵害が発生する場面というのは、不可避に著作者の表現の自由に対する重大な侵襲が伴う場面であることは、興味深い点です。

    すなわち、公表権は、著作者において表現を公衆に発信するかしないかを決するまさに表現の自由に関わる権利です。

    また、ある表現を改変した場合、当該表現から発せられるメッセージも歪められます。同一性保持権は、そのような改変による表現の歪みや、誤った情報伝播を防止する役割を副次的に果たし得ます。このことは、表現者の表現の自由に資するとともに、情報の受け手である国民の知る権利にも重要です。

    また、国民にとって誰が発したメッセージかということは、情報の内容と同様に重要な事項です。氏名表示権はそのような情報発信主体と表現の結びつきを保全し得ます。同様に表現者の表現の自由と、国民の知る権利に有益な効果を持っていると言えるでしょう。

    このように、著作者人格権を侵害する表現行為や情報伝播というのは、発信者の表現行為あるいはこれに資する行為であると評価できるとともに、著作者の表現や国民の知る権利に対する重大な侵襲を伴い得る行為の一類型でもあります。

    ファクトや表現を歪める情報伝播に自浄を期待できるのか

    そして、一旦著作者人格権を侵害するような行為によって歪められた情報発信が、民主政の過程で自浄できるか、特に現代のインターネット社会においてそれが可能なのかはよく検討される必要があるものと思料されます。

    ツイッター自身もリツイートの徒らな情報伝播が必ずしも有益な側面だけではない可能性を自覚するに至っていると思えます。

    このように、フェイクニュースや、オリジナルの表現を毀損する表現の伝播は、必ずしも望ましい側面だけではありません。

    さらに、ここに少数者の表現行為が多数派によってゆがめられた場合に、司法による救済が必要かどうかというのは、よく検討されなければならない場面です。つまり、事実や表現者の表現を歪める情報伝達が、本当に民主制の過程で強い保護に値するのか、自浄できないとすれば司法的救済は必須ではないか、よく問われなければならないと考えられます。

    表現の自由と表現の自由の対立構造

    表現の自由と財産権や裁判を受ける権利、幸福追求権が対立構造に立つ他の発信者情報開示の場面と異なり、著作者人格権侵害に基づく発信者情報開示の場面では、表現の自由VS表現の自由という図式が成り立ち得る場面のひとつということはよく意識されなければならないと思います。

    それは著作者人格権が表現の自由を具体化したもの、という趣旨ではなく、発信者の著作者人格権を侵害する情報発信は、表現の自由に資すると評価できる行為でありかつ、同時に、著作者の表現の自由や国民の知る権利に対する重大な侵襲を伴う情報伝播行為の一類型であり得る、という図式です。

    さらに言えば、著作者の表現の自由を侵害している発信者の表現の自由は、著作者の表現に必ず劣後する、という保護の優劣関係さえ見出せる場面かもしれません。

    つまり、著作者人格権を侵害する発信は、著作物に依拠した情報発信であるから元の著作物の表現価値や知る権利に資する効果を基本的に超えられず、さらに元の著作物に対する侵襲を必ず伴い民主制における情報伝播、国民の知る権利の享受、表現者の自己実現の過程を歪めることから必ず表現の自由にとってマイナスと評価し得る側面を持つとさえ言い得ます。

    そうすると、著作者人格権を侵害する発信行為が、民主政の過程においても、自己実現の意味においても、表現の自由にとってプラスになる側面よりも、著作者の表現の真意を歪め、発信主体を歪め、国民の知る権利で保障される本来受け取れるべき情報も歪め、民主政にとっても、著作権者の自己実現の価値にとっても、マイナスが大きい行為とも評価し得ます。

    そして、そのような情報の歪みが一旦生じた場合、その歪みが伝播することを止められない以上、民主政の中での自浄効果が期待できない状況に陥ることが懸念されます。そうすると、表現価値そのものを歪める著作者人格権を侵害する情報はそもそも伝播されるべきではないか、伝播された場合司法による救済の要請が強く働くという価値判断も導き出されます。

    プロバイダ責任制限法上で金科玉条のように主張される発信者の表現の自由が、権利者の表現の自由に劣後し、必ずしも情報流通の利益が優越しない可能性があります。

    このことは、リツイート事件において著作者人格権侵害のみに基づいての情報開示が認められたことと無関係では無いのかもしれません。

    この点については、著作者人格権と憲法21条の関係を含めて、今後の議論が待たれる部分とも考えられます。

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